大化改新の話
令和になりましたね。
この前、中大兄皇子の話の大化の話をやりました。
聖徳太子の側近として政治改革を行なっていたのが、蘇我馬子でした。
この人は天皇家の血筋ではなく、
豪族でした。
その血筋は3代に続き、
なんだったら、
天皇家がなくなりそうだったので、
ちなみに
中臣鎌足➡︎藤原家
と今後名乗るようになります。
そして蘇我入鹿は倒されました。
おっしゃ!ってなって直接天皇に税金がいくようになりました。
租・調・庸は、大国の唐を参考に作られた税制度。唐の制度をそのまま導入すると、日本に馴染まないため、唐の制度を日本風に改良したものが租・調・庸になります。
租・調・庸とは、簡単に言えば
租→米を納めること。
調→繊維製品(麻とか絹とか)を納めること。地方の特産品を納めることも!
庸→「京へ労働する」or「労働の代わりに何か納めろ!」の2択が選べる税で、「労働の代わりに何か納めろ!」の方が庸。ちなみに「京へ労働する」を選ぶとそれは雇役(こえき)とか雑徭(ぞうよう)と呼ばれる。
こんな感じ。
租・調・庸はどれも本来は唐の制度なんですけど、日本古来の文化や風習をそこに融合させ、日本オリジナルの制度に仕上げました。
なんだか日本人らしいやり方ですよね。
日本人って昔から物事を改良したり、
何かと融合させるのが得意だったんでしょう。